看護部

心に残った看護 ~看護をつむぐ~

 

心に残った看護 ~看護をつむぐ~

看護をつむぐとは、当院での看護実践の積み重ねが、看護部理念の「おひとりおひとりを大切にした看護」になっていくということを表しました。当院では、毎年心に残る看護実践をナラティブにしています。

当院のナラティブをご紹介します。

ナラティブとは「物語」という意味です。私たちが日々経験する看護場面は1つとして同じものはありません。その時に流れる空気、時間、心の動きは一瞬一瞬変化し、物語となって綴られていきます。ここに描かれたナラティブを読むと、当院看護部の「おひとりおひとりを大切にした看護」が見えてきます。

このページが、当院の看護を知っていただく場になることを願っています。

 

 令和 6 年

積極的治療を望まなかった患者に対する意志決定支援

 その日私は、80代男性Aさんの診察に同席した。Aさんは、顎下部腫瘤の精査目的で紹介受診され、生検の結果、原発不明癌頚部リンパ節転移と診断されていた。すでに告知を受け、化学療法入院を予定したものの、コロナ感染により延期になっていた方だった。私は、当然治療に対する意思決定ができていると思っていたので、延期になっていた入院日の調整をするだけのつもりで診察についていた。しかし、事態は予想外の展開になった。

 奥様とともに診察室に入室したAさんは、ご自身のお気持ちを綴ったA4の用紙を持参され医師に手渡した。そこには、「来月から自治会長を務めることになり、引き継ぎ等で多忙になるため入院治療を辞退したい。できれば内服による自宅抗がん剤治療をお願いしたい。それが不可能ならば定期通院で経過を診ていただくだけでよい」という内容が書かれていた。内容を読んでいる医師に、今できる最善の治療はあえてしない、今の生活を壊したくないと、口頭でもはっきり意思表示された。予想外の展開に私の頭の中では、(え?どういうこと?積極的治療を望まないということなのか?だとしたら、今後についてお気持ちを聞いておかないと。ACPが必要かな)と、次から次へと考えが巡った。医師も同じように考えを巡らせたような様子を見せ、一瞬の間を置いて私に目配せをしながら「ACP」と、小声で指示した。私が急いでACP用紙を準備し戻ってくると、医師からAさんには、治療をしなかった場合の予測される経過とACPについての説明が始まっていた。混乱した様子もなくうなずきながら聞いているAさんとは対照的に、奥様は説明の合間にも治療を受けてほしいとAさんを説得していた。そんな奥様にAさんは、「おまえは黙っとけ、これが自分の生き様だ」と苛立ちを見せていた。私はこのやりとりを見ていて、夫婦の思いにギャップがありすぎると感じ、このあとしっかり時間を取って話したいと思った。

 診察後、私は静かに話せる場所にAさん夫婦を案内し、改めて自己紹介をした。私はAさんに、診察時に話されたAさんのお気持ちを受けとめていることを伝え、なぜそういう決断に至ったのか尋ねてみた。するとAさんは、「入院が必要な治療も毎日通院が必要な放射線治療も、今の生活スタイルが崩れるでしょ、それが嫌。」とおっしゃった。さらに続けて、「毎日晩酌して寝る習慣なので、それができなくなって眠れなくなるのが不安だし、夜型の生活スタイルが変わることにも抵抗がある。足腰も弱ってきたから散歩を積極的に頑張っているけど、入院することでさらに弱るのではないかと不安。もう80過ぎて十分生きたから、今のスタイルを崩してまで治療したくない。このまま寿命を全うしたい。息子たちには、先生が勧める治療を受けていることにする。これが自分の生き様だと思っている」と一気に話された。治療を受けてほしいとAさんに訴えていた奥様は、Aさんの意思表示に圧倒された様子で、後半は黙ってAさんの言葉をじっと聞いておられた。私も聞いていて、圧倒されるほどの強い意思を感じた。ご自身で熟考したうえでの決断なのだろうと推察し、お気持ちを尊重したいとも思った。けれども、一点だけ引っかかることがあった。息子さんに話すつもりがないことだ。私は、息子さんも含めて話し合うことで、Aさんのお気持ちが変わる可能性はあるような気がしていたので、強い意思を持って話してくださったAさんの気持ちを受け止めると同時に、息子さんに話すべきではないかという自分の気持ちは伝えておこうと考えた。自分と同じ世代であろう息子さんに自分の気持ちを重ねて、「私がAさんの子どもなら、絶対に話してほしい。治療を受けていると思っていたのに実は違っていた、親がどんな気持ちで病気と向き合ってきたのか後で知るなんて、そんな悲しいことはない。Aさんのお気持ちを伝えたうえで、息子さんの気持ちも聞いてあげてほしい」と伝えてACP用紙を渡した。私は気持ちが入りすぎて思わず泣きそうになったが、ぐっとこらえた。Aさんは、「病気になる前から、『これから先の生き方をそろそろ考えないと』と思っていたけど、家だとなかなか真剣に話せないから先延ばしにしているうちに病気になっちゃって。今日この場で話す機会を作ってもらって本当によかったです。今日話したことは妻にも初めて話します。妻は病気がわかってから、一方的に治療しろと言って自分の話を聴こうとしなかった」と清々しい表情でおっしゃった。私は、自分という第三者がいることで、お互い感情的にならず冷静に気持ちを伝えることができたのかもしれないと、この場を作って本当によかったと思った。

 そのあと私は、看護記録を書きながらその場面を振り返った。息子さんに話すつもりのなかったAさんに、自分の考えを押しつけるような言い方をしてしまったのではないか。がん治療という人生を左右する選択について、出すぎたことを言ってしまったのではないかという不安を抱きながら、どう伝えればよかったのか、ずっと考えていた。そして1週間後、答えが出ないまま次の診察日がやってきた。

 私は、Aさんのお気持ちに変化があったのか気になりながら診察に同席した。体調を確認しながらお気持ちを伺った医師にAさんは、「息子と話し合って、孫娘の嫁入りを見届けてほしいと言われました。目標ができちゃいました」とおっしゃった。そして、「この1週間じっくり考えることができて本当によかった。先生が勧めてくださる治療を受けようと思います」と意思表示され、私にも笑顔を向けてくださった。診察に同席してこんなに嬉しい瞬間がこれまであっただろうか。1週間のもやもやが一気に晴れた瞬間だった。

 Aさんの治療開始から数ヶ月経過したのだが、その後私は、外来でAさんに一度もお会いできていない。勤務の都合もあるのだが、Aさんの外来日を意識できていなかったというべきだろう。最近、そのことに気づくきっかけがあった。ある同僚が、「Aさん、すごく会いたがってたけど会えた?とてもお世話になったと言っていて、感謝の気持ちがものすごく伝わってきたから、良い関わりをしたのだろうなと思ってたよ」と教えてくれた。私は、治療開始後のAさんを気にかけることができていなかった。外来日に声かけができるようにするには、自分が意識して行動しなければならないと気づいた。私は、Aさんが治療に意欲を見せてくれたことで満足してしまっていたのかもしれない。そこからが始まりなのだということを忘れず、外来という短い時間の関わりでも、継続して気にかけることが看護であると気づかされた事例だった。

 

 

ベッドサイドで看ること

 60代のAさんは長時間に及ぶ頸部の手術を終え、ICUを経由し、HCUに入室された。前勤務者からは30分から1時間毎に頻回にナースコールがあると申し送られた。Aさんは気管切開をしており、声を出せず、気持ちを言葉で表出する事が困難だった。痰や喉の違和感を訴えているようだが、はっきりしないとのことだった。

 私がAさんの病室の前を通ると、ベッド上安静のはずのAさんの足がカーテンの下から見えた。Aさんは頸部の過伸展による出血のリスクから、ベッド上での安静を指示されていたはずだった。私は驚いてカーテンを開けるとAさんが端座位になり、今にもベッドから降りようとしているところだった。Aさんは痰がからんだ咳をし、頻呼吸にもなっており苦しそうだった。私は内心慌てていたが冷静さを装いながら、「Aさん、痰があって息が苦しそうだからベッドへ戻って痰吸引させてください」と声をかけた。こういう場面では、大きな声を出してしまいそうになるが、それにより患者さんは、余計にパニックになってしまう事がある。できるだけ穏やかに、落ちついてと自分に言い聞かせた。Aさんは私にすがりつくようにしながら頷いた。

 そのあとしばらくAさんの呼吸が落着くのを待って、私は「苦しくなってパニックになってしまいましたか」と尋ねると頷かれた。Aさんは身振り手振りと筆談で、喉の違和感が気になって、何度もナースコールをしたが、どんどん苦しく感じてしまったことを私に伝えた。Aさんは上手く伝わらないために不安が増大し、ナースコールを押すことをためらってしまっていたのではないかと考えた。

 私はAさんに「今日は私が担当です。すぐ対応できるよう、しばらく近くにいますね」と伝えた。Aさんがナースコールを押さなくてもいいように、Aさんのすぐ近くで業務を行い、Aさんの痰がらみの咳の音がすると、「痰吸引しましょうか」とこちらから声をかけるようにした。気管カニューレによる喉の違和感を軽減するため鎮痛剤を提案し投与した。Aさんはベッドから降りようとすることはなく、呼吸状態も落着き、痰吸引の回数も減った。Aさんが穏やかな表情をするようになったのを確認し、私は一旦、Aさんの傍から離れても大丈夫そうだと思った。「少し席を外しますが、苦しくなったりしたら遠慮せずナースコールを押してくださいね」とAさんに伝え席を外した。

 Aさんから離れ1時間ほど経った時、Aさんから痰吸引してほしいとナースコールがあった。私はすぐAさんのもとへ行き、痰吸引しながら、「Aさんがナースコールしてくれたのですぐ対応できましたよ。ナースコールを押してくれてありがとうございました」と伝えた。その瞬間、Aさんは泣きだし、「ごめんね」と身振りで私に伝えた。私は、Aさんのベッドサイドでそれまで考えていた事を口にした。「Aさん、もしかしてナースコールを押すことにためらわれていたんじゃないですか」Aさんは、目に涙を浮かべ大きく頷いた。「ナースコール押してもらっていいんですよ、いつでも呼んでくださいね」と私はAさんに伝えた。Aさんは、また大きく頷いた。

 Aさんは自分がまだベッドから降りてはいけないことを理解していたが、それを一瞬忘れてしまうほど混乱してしまった事による行動だったのだなと私は思った。痛みや違和感が増すと不安も強くなってしまいやすい。Aさんの気持ちが看護師に伝わりにくかったために、さらに不安は大きくなり、何度もナースコールを押すことにためらう気持ちが生まれてしまったのだろう。Aさんのおかれている状況を踏まえ、患者さんの言動をよく観察し、気持ちを理解しようとすること、その気持ちがAさんに伝わったことで、安心してもらえたのではないかと感じた。

 今回の事例から、安静度を守れなかったり、頻回に同じ訴えをされる患者さんに対し、私は「不穏だ」「せん妄だ」と決めつけてしまいがちになっている事を改めて反省した。患者さんは理由があってそのような行動をしているのだと理解し、その理由についても考えようとする姿勢が大切だと思った。また、患者さんによってはナースコールで看護師を呼ぶのを躊躇する人もいる。ナースコールがあって訪室すると、「忙しいのにごめんね」と言われる場面をしばしば経験する。毎日、多くの記録に追われ、患者さんのベッドサイドに行くという行動がおろそかになってしまいそうになる。だが、看護師の一番大事な業務は電子カルテを見るのではなく、目の前の患者を看ることだ。私は、患者さんのベッドサイドでよく看ることの大切さをこの事例から学んだ。

 

 

ACPを共有することの重要性

 Aさんは60代の女性患者さんでがんの再発のため化学療法を実施していた。しかし、水腎症による腎機能悪化により化学療法は中止となった。両下腿に浮腫があり、自宅療養が困難なため即日入院となった。水腎症に対し泌尿器科を受診し、翌日に腎瘻造設が行われた。永久腎瘻となるため、腎瘻の指導を本人・家族へ行う方針となり、私は担当看護師として、Aさんと家族を含めた指導計画を立案することになった。排液の仕方や刺入部の観察、テープ交換などを本人と家族に実際にみてもらい、パンフレットに沿いながら説明を行った。その際に、次男の妻より「できるか心配。正直、私だけがお義母さんの介護をしなければならない義理も恩もありません」と、一人になったタイミングで涙を流し吐露された。次男の妻は次男と結婚して2年であり、病状が悪くなっているが今まで通り自由に動くAさんや、協力の得られない長男・長女を快く思えない気持ちがあった。しかし、医師からの説明を聞いた時に、涙を流す次男のために腎瘻管理や自宅療養に協力したいと思っていた。私はこのままでは次男の妻に負担が大きくなってしまうこと、家族への腎瘻指導が家族関係の悪化につながるのではないかと考えた。また、下肢浮腫や腹部の癌性疼痛に対し緩和ケアチームが介入しており、AさんのACPを実施するタイミングなのではないかとチームから意見があった。

 私は、ACPのタイミングについて、AさんのようにADLが自立している患者さんではなく、病状が急激に悪くなり、最期の時を考えなくてはいけない終末期の患者さんが実施するものであると思っていた。しかし、先輩看護師より、ACPは状態が悪くなっている時だけでなく、良くなっている時や環境が変わる時にも行うことが重要であると助言があった。私は実際にACPを行い、Aさんから「子どもたちが協力してくれるし、次男の嫁さんも協力して動いてくれているからありがたいと思っている。できることがあるならやりたい気持ちはあるし、抗癌剤治療も先生が提案してくれるならやりたいと思っています。でも延命治療はやりたくない。痛みや苦しみがないのが一番理想です。それに家族と過ごすことができたらいいかな」という言葉を聞くことができた。私は、Aさんの腎瘻に対する自己管理への意欲があることや、次男の妻の介護負担を軽減するために、家族みんなで指導を受けることが必要だと考えた。そして、ACPを家族と共有し、聞いた内容を活かしながら腎瘻の指導計画を練り直した。

 Aさんには、排液方法やレッグバッグの装着の仕方を指導し、毎日実施する時間を設けた。家族への指導時には、次男の妻を中心に長男・長女が来棟できる日時の調整を行った。長女が面会に来棟した時には、患者さんの日中の様子を伝え、指導状況を家族で共有できるように説明した。その結果、Aさんは「おんぶに抱っこじゃだめだと思って練習しました。家でもできそうです」と話してくれた。家族も腎瘻指導に参加し、次男の妻も「これならできそうです。ACPを他の家族に共有してくれたことも嬉しかったです」と話された。これらの発言より、Aさんの腎瘻の自己管理に対する意欲の向上と家族の介護負担の軽減へつなげることができ、自宅で家族と過ごしたいという願いを叶えることができた。そして、指導を通して家族関係の構築にも関わることができたと感じた。

 また、Aさんは腹部の癌性疼痛に対し屯用で鎮痛剤を内服していたが、除痛できず夜間の入眠もあまりできていなかった。回診の際に、緩和ケアチームへ相談し、緩和ケアの医師より「医療用麻薬」を内服してみてはどうかとAさんへ提案があった。しかし、Aさんは「麻薬」という言葉に抵抗があり悩まれていた。私は、ACPAさんが主治医のことを信頼していると話していたことを思い出し、主治医へ報告し、再度提案していただくことになった。すると、Aさんは「医療用麻薬」の使用について納得され、疼痛時は医療用麻薬の内服で除痛ができ、夜間の入眠へとつなげることができていた。その後、廊下でたまたま会ったAさんより「看護師さんやいろんな人が自分のために動いてくれているから前向きに考えることができたよ。あなたにはお世話になったね、ありがとう」と感謝の言葉をかけてもらうことができた。

 今回の事例を通して、ACPは終末期だけでなく、環境や病状の変化がある時にも行う必要があることを学んだ。そして、ACPを家族や医療従事者と共有することによって患者さん・家族にとっての価値観や、これからの方針について考えることができ、医療者はチームの一員として患者さんのニーズに応えることができるのだと感じた。今後、ACPのプロセスを進める中で、今回のように患者さんの意思と家族の感情が対立する場合もあるかもしれないが、その時には医療従事者として双方の気持ちの傾聴、共感しながら、患者さん・家族の意思決定支援を行っていきたい。

 

 

患者さんと迎えた新しい朝

 当病棟に入室される患者さんは乳児から超高齢者まで幅広く様々です。Bさんは70代の女性患者さんでがんのため放射線治療中でした。Bさんのカルテには、認知機能の低下のある夫、がんを患っている長女、最近になって死んでしまった愛犬のことなど、Bさんの思いが記載されていました。私は、食道穿孔と気胸を併発し、頻脈や発熱、ドレーン刺入部痛等の様々な苦痛と闘いながらも、家族を気遣うBさんの言葉に重みを感じていました。

 夜勤の担当看護師としてBさんが入室して数時間後に関わった時のことです。Bさんは、ハイフローセラピーを高酸素濃度設定で装着され、肩で荒い呼吸をして身の置き所のない様子でした。私が自己紹介をすると「よろしく……」と微かな声で返答をされました。私はBさんを一目見ただけで「助かるのだろうか、早急に気管挿管しないといけないだろう……」と思ってしまう程に重篤な状態だと判断しました。

 しばらくして、御家族から保留となっていた気管挿管の選択について希望はしないと医師へ連絡が入りました。私は病棟異動をしてから間もない中での夜勤を迎える不安と緊張感がありつつも、これまで集中治療の現場で培った看護経験のプライドから、命の危機に瀕している目の前の患者を支えようと自身の心を奮い立たせていました。私は「何かあっても大丈夫、そばにいますから」とBさんに伝え、自分にも言い聞かせるように気持ちを落ち着かせました。身悶える様な動きをするBさんへ、「ゆっくり呼吸なさって下さい、楽になるようにしていきますから。苦痛である部分を一つ一つ解決していきましょう」と説明し、リラックスできるよう肩をさすりました。全身状態を観察していると苦悶感、疼痛、倦怠感、暑さへのストレスが高い状況であるとアセスメントできました。苦悶感に対しては、ハイフローセラピー装着による圧迫感もあったため、カニューラの付け外しを繰り返し、呼吸が促迫した時には、呼気・吸気のタイミングを一緒に合わせ、痛み止めを追加しながら安楽な体位を工夫しました。また、暑さに対しては、爽快感を感じ取れるように前胸部に冷罨法を行いました。入眠を促すため消灯をすると、「色々ありがとう。明かりは消さないで。このまま逝っちゃうのかしら私、怖いわ……」と悲観的な発言がみられました。死の淵へ落ちていきそうな心理的状況下にBさんが置かれていると咄嗟に判断し、煌々とした明かりの中ではなく、ほんのりと明かりを灯し、Bさんのそばに寄り添いました。

 時間を追うごとにBさんの表情は和らぎ、苦痛であった症状がそれぞれ緩和され始め、呼吸が安定し、穏やかな表情で寝息も確認できるようになりました。夜が明けると、「おはよう、(息は)ずいぶんと楽だわ。朝が来たのね、お天道様が嬉しいわ」と穏やかな表情でBさんがおっしゃいました。私は、ベッド越しから空を見上げるBさんの表情に、生きる喜びを感じ取ることができました。

 私達看護師は、学生時代から看護実践の方法について学びます。手技や効果を学び、実践の場でその技術を磨いていきます。呼吸に影響を与える要因を多方面からアセスメントしていかなければなりません。臨床現場では、それまで習ってきた方法だけでは対応しきれない場面が多々あります。全身状態をアセスメントし、その患者さんに実践可能な方法を模索していきます。時には、身体を横に向けただけで血圧が維持できなくなってしまう患者さん、些細な刺激で不整脈が出てしまう患者さんもいます。高いスキルが求められることは言うまでもありません。ただ、どんな患者さんを前にしても自分にできることは何かと問い続けた先にこそ、対象に最も寄り添った看護が実践できるのではないかと思います。

 病棟内での私は指導的立場にあり、患者ケアにおける問題点やその解決に向けてコーディネートすることや、リーダーの役割を担うスタッフの育成も担っていることを自覚しながら指導・教育に携わっていきたいと思います。 

 

令和4年

私の小さなやりがい

ケアで関わる看護

こんな看護師になりたかったんじゃない

私の思う寄り添った看護

意思決定を支援すること

 

 

 

 

 

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日本赤十字社 愛知医療センター